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雨が降ればあの日々の事を

2018年07月11日

 

先の豪雨で京都の鴨川も桂川も、氾濫寸前までいったけど何とか持ちこた。

 

だけど京都大作戦という野外フェスは中止になり、がっかりするお客さんの顔を見るのはこちらも辛かったな。。。

 

不幸なニュースがどんどん流れて来て、唯一ほっこりしたのは、鴨川の河川敷に避難しに水から上がったサンショウ魚くんくらいのものだ。(←でも本人は必死)

 

雨音は記憶のフックになるのか、晴れた日よりも雨の日を良く覚えているのは私だけだろうか。

 

今から十年程前の今くらいの季節に、プータローだった私と妻は車で日本旅行をしていた。毎日無料のキャンプ場を探して寝ていたので、自分たちの家はコールマンのテントだった。

 

そして金がないからキャンプ場でほとんど自炊していた。

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テントの設営&撤収もあるから雨は勘弁して欲しいのに、この年の夏は良く雨が降った。

 

飯を食べたら暗闇のキャンプ場でする事もないので、テントを打つ雨音を聴きながら眠気が来るのを待った。

 

あの寝落ちするまでの、つかの間のまどろみ中で、私は何を考えていたのだろう。妻の事とか、将来の事とか、旅の事とか、色々だったと思う。

 

でも間違いなく幸福な時間だった。ずっとコールマンのテントで暮らしても良いじゃん、と思っていた。

 

明日はどこへ行こう。次に辿り着くのはどんな場所だろう。私の意識は前へ前へと向かっていた。

 

明日は晴れたら良いなと、雨音を聴きながら旅の続きを夢想して、毎晩眠りについたものだ。

 

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コールマンのテントから、京都のシェアハウスに移って、一乗寺の軽量鉄骨のマンション、東本願寺裏の鉄筋のマンションに今は住んでいる。

 

住む家は立派になったけど、どの時代が幸福だったかなんて上手く言えない。

 

どの時代も幸福だったし、どの時代にも小さな不安があった。

 

前しか見えない目玉をつけて、なんて歌が昔あったけれど、それはきっと、幸福な状態なのだろう。

 

現状を守る為に生きるよりは、数倍良い人生だと思うな。